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  • 若松

新聞記載されました。

「人に喜ばれる仕事をしたい」


耳が聞こえないハンディを乗り越え、社寺建築の会社を起こした宮大工がいる。

桑名市桑名の渡辺健太さん(44)。幼いころに病気で難聴になり、幾多の困難に直面しながらも奥深い宮大工の世界で経験を積んできた。それを生かし、7月に独り立ちした渡辺さんは「後世に残る寺社を建て、宮大工も育成して伝統工法を継承していきたい」と抱負を語る。【記者:松本宣良】


 渡辺さんは岐阜県八百津町出身。1歳の時、はしかの熱が原因で難聴になり、小学生になって「障害のある自分が将来、できることは何か」と考え始めた。幼少のころからいろんな絵を描くのが好きで、家もよく描いていた。そんな時、母親から「難聴の大工さんもいる」と聞かされ、「絵ではない、本物の家を僕も造れるんだ」と希望がわいたという。


 大工になる夢を実現するため、工業高校の建築科に入ったが、先生から「(難聴のため)進路に責任を持てない」と突き放された。それでも「何くそ」と設計などの勉強に励むと共に、レスリング競技にも打ち込んで国体5位入賞という実績も上げた。


 文武の努力が実を結び、寺社専門の建設会社(岐阜県関市)から「宮大工にならないか」と誘いを受けた。「大工よりも難しい技巧の世界と知って興味がわき、入社を決めた」と振り返る。とはいえ、5年間の寮生活を送るうちに大半が辞めてしまう厳しい世界。加えて難聴のため、周りとコミュニケーションも取りづらかった。そんなハンディを不屈の努力で克服したが、入社15年目、無理がたたって耳が完全に聞こえない状態に陥った。「少しでも聞こえるのと全く聞こえないのは大きな違いだった」。試練に立たされる中、会社からは設計業務へ移るよう指示された。「大工は高所で作業し、危険が伴う。万一の時に大声をかけても聞こえないと事故につながる恐れがあり、(配置換えは)仕方なかった」


 結局、19年目で退社。新たな会社で造園の設計なども担ったが、「これまでの宮大工の経験が無駄になるような気がして」、寺社専門の別の建設会社(桑名市)に再就職した。ここでは現場を束ねる棟りょうを任され、弟子7人に伝統工法などを指導。「直線が基本の一般住宅とは違い、寺社建築は曲線を中心に考えないといけない。後輩とは口の動きを読み取りながら会話し、メールなども活用してコミュニケーションを深めた」と打ち明ける。


 3年前から、自ら企画、設計、施工できる独立の道を模索し始めた。いなべ市で工場を借りられるめどがつき、志を共にする3人で7月に新会社「若松社寺」をスタートさせた。


 「まだ知名度がないので営業は大変だが、北勢地域の寺社造りに携わり、地元の人に喜ばれる仕事をしたい」と意気込む。寺社の伝統工法の継承にもこだわり、「機械処理が増える中、手作業できちんと建てられる宮大工を育てていきたい」と熱く語る。


〔三重版〕


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