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当寺の創立は昭和24年(1949)、開山は釈恵照法師です。
これより先、大正3年3月1日恵照師は単身豊橋に来錫し、瓦町字通16-1に真宗教場を開いて専心布教に努め、多数の信徒を得て大正10年3月同町字南裏69-1に移転し、更に昭和7年10月大井町の現在地に堂字を新築して初めて寺院の容相を整えました。
この間大正10年中静岡県寓士郡伝法村の廃寺勧正寺の本尊阿弥陀如来立像を勧請し、爾来勧正寺と私称していたが、昭和17年宗団法実施の際まず本願寺派瓦町教会の認証を受け、ついで戦後24年1個公称寺院勧正寺となりました。大正三年恵照師の来豊から36年の後です。
恵照師、姓は山口氏、奈良県南葛城郡秋津村真宗本派教善寺に生れ夙に講演童話を能くし、その豊橋来住は26才の時で、爾来宗義宣揚に寧日なく、居を換えること三度、昭和7年1月24日現在の当寺で示寂しました。寺号公称はその後17年目であったが当寺では師を以て開山亮格院恵照法師と仰いでいます。 戦時中仏具什器一切を供出、戦火と農地法の両厄をば免れたが、恵照師の長男晃照師は19年11月13日湖南省の地で戦病死を遂げました。この間当寺は伊勢照順寺草薙師兼務となり、23年晃照師の弟賢照代務となり目下住職任命を申請中で、布教の傍ら軍人遺家族援護の事務、町内子供会の運営等に献身しています。
当寺現在の境内地及び建物 境内地 50.65坪
建物本堂庫裡合標 32.50坪
勧正寺
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